うつと自殺 | |
1.過労自殺という奇妙な造語 |
「病に立ち向かうための、制度活用マニュアル」病になる前に避難経路を知っておいてください。tirasi2.pdf へのリンク
自殺未遂を体験したカウンセラー澤登さんの手記です。
澤登和夫 うつと自殺未遂体験
私はサラリーマン時代、27歳の時に結婚と栄転が重なり、「これで人生、順風満帆だな」って思っていました。ところが、それからたった4ヶ月には精神科の医師から「典型的なうつ病です」と診断されました。原因は、栄転で関係会社に出向した際の過労と心労です。出向先で結果を残さなければいけない、出向元にも出向先にも迷惑をかけてはいけない、失敗してはいけないという気持ちが強く、朝は誰よりも早く出社し、終電で帰れればラッキー、睡眠時間は3時間から4時間という生活が続きました。次第に頭が回らなくなり、本を読むことも計算機を打つこともおっくうになり、食欲も落ち、眠れなくなっていきました。ひどい日には、出社してもパソコンのスイッチすら押すことができず、席でぼーとしている日もありました。体は鉛のように重かったんですが、迷惑をかけたくないので休むことができず、結局会社に行き続けたことが症状をさらに悪化させていきました。
3年間の出向生活は何とか終えたものの、その頃、ちょっとした喧嘩がきっかけで妻と別居、離婚しました。そのショックもあってついに会社も休職、そして復職にも失敗し、「死にたい」という気持ちが頭から離れなくなってきました。後悔と絶望とイライラ、不安が1秒1秒、襲ってくるような感じでした。以前のようにいきいきした生活をしたい、またみんなと楽しく過ごしたいと考えれば考えるほど、どうにもならない絶望感が頭の中を駆け巡りました。そして、「すべてのことから解放されたい」「人生をリセットしたい」という気持ちで、2005年の夏、31歳の時に近所のマンションの最上階の踊り場から飛び降りました。誰かを巻き込んではいけないと下を確認はしましたが、躊躇は全くありませんでした。1日1日、1秒1秒、生きていることがしんどくて、そこから楽になりたいという気持ちが、自分を後押ししたんだと思います。結果的には、奇跡的に足の骨折だけですみました。しかしながら、死にたいという気持ちは簡単には消えず、精神病院にも2ヶ月入院しました。その後も、うつ病の症状は一進一退を繰り返しました。こころだけでなく体もむしばまれ、潰瘍性大腸炎という難病にかかり、32歳の時には大腸を全部摘出しました。
そんなどん底から乗り越えたきっかけは色々とありますが、忘れることができないひとつは、あるおばあちゃんが言ってくれた「ありがとう」です。電車の中で座っていたら、80歳位の杖をついたおばあちゃんが目の前に立ちました。手術したばかりでこころも体もどん底だったのですが、がんばって席をゆずると、そのおばあちゃんが私に「ありがとう」、「ありがとう」、「ありがとう」って、何度も満面の笑顔で「ありがとう」と言ってくれました。言われるたびに、「こんなどん底の自分でも少しは役に立ったんだなぁ」「こんな自分でも存在価値があるんだなぁ」と、ゼロだった将来への希望も少しだけ芽生えました。それを境に、うつの自分も少しだけ受け入れることができて、薬を飲みながら半年間じっくりと休養し、少しずつ元気になっていきました。うつから完全に脱するまで5年半かかりましたが、それから2年以上薬も飲むことなく、日々楽しく生活しています。今では、あの時死のうと思ったけど、生きていてよかったって心から思っています。
現在は「過去の自分と同じように辛い思いをしている人の力になりたい」と、うつ専門カウンセラーとして活動しています。うつで悩んでいる人の中には、死にたいと思っている人も多いですが、本当に死にたいというよりは、「生きているのがしんどい」という気持ちの人ばかりです。だから、死にたいという気持ちは、「生きたい」という気持ちの裏返しだと思っています。その生きたいという気持ちを周りの人が一緒に受け止めることができれば、たくさんの命を救うことができると思います。
自殺未遂者の証言を紹介します。
@.
わたしは3年前過労からの重度のうつから首つりと投身。
ほんとうにたまたま骨折だけですみ、今ここにいます。同じ思いで苦しんでいる人の支えになりたいと、うつ専門カウンセラーになりました。
A.
私も大量服薬をしました。2007年1月6日でした。1月12日に20歳の誕生日を迎える直前でした。過去のいじめ、人間関係のもつれ、過敏性腸症候群という病気〔今は完治しました。)後悔の念、自己否定、絶望「死にたい」将来の希望、夢もなく・・・「休息したい』と思いました。
B.去年うつ病になり会社を辞め、たまに自殺を考えますが、大地君のパネルを見てお母様の詩を読み、自分の母のことを考えると、もうすこしがんばろうと思います。
C.私の妹は自殺未遂に終わりましたが、精神病院に入院中です。
残された者のつらさに共感して涙が出ました。
D.私の主人も今年三月電車に飛び込み自殺しようとしました。運がよかったので命は助かりましたがいまも通院中です。会社の過重労働と上司のパワハラに耐えられませんでした。
E.私自身何回かの未遂の経験が有り、「生きていてよかった」「生きるだけでいいのだ」との思いにいたりました。
F私自身がうつ病を発症して1年半後には「自殺念慮」まで行きました。思い切って心療内科に行きました。その先生のおかげで酷い状態から立ち直りました。
G私自身鬱になり色々自殺する手段をかんがえました。飛び込み、自動車・・・でも私が死ねば私はそれで終わるけど家族、知人、いろいろな人に迷惑をかける。じぶんで欝と分からなかった。よい知人がいてくれたので今生きています。
H.
私自身の身の回りで自殺未遂の話を聞く日々です。現場で起きている現実に身のすくむ思いでした。見ざる聞かざるといった風潮、陰鬱さ、ひきようさ、そういったものに対して、もっと厳しくあるべきだと思っております
I.
約30年前私は子供を道連れに心中をしかけました。4歳の長女と1歳の長男。夜中、親兄弟に遺書を書き終え1歳の息子の首に手をかけた時、思いもかけづ息子が楽 しい夢を見ていてか笑いました。後頭部を鈍器で殴られたような衝撃とともに私は死のうとしていた自分の愚かさに気づかされました。あれから息子は結婚、孫の顔も見ることができ、あの時私たち3人命を救ってくれた息子の寝顔、神様のお計り。その日がくるまで半年間死ぬことばかり考えていた私はうつ病だったのか?・・・
精神疾患と自死(自殺)の定義
働く者のメンタルヘルス相談室
理事長 伊福 達彦
精神疾患の定義
1. 原因及び発症の契機
「精神疾患とは、生物学的な因子、すなわち遺伝子や脳といった因子と心理的な問題、そして社会的な問題が混然一体となって起きている」加藤忠文著「岐路に立つ精神医学」p46
2. 定義
「心の病気とは、典型的な脳の心身症であり、生活習慣病なのです。 天性の資質に無理のない、相性の良い脳の生活習慣に変えることで、脳という体は自然治癒、すなわち自らを修復していくのです。」神田橋條治「現場からの治癒論」という物語p67
自死(自殺)の定義
「ひとり安楽死」(1人で判定し、実行される安楽死)この定義が日本人の自死の多くに当てはまる
「自殺も、自らの手で行う一種の安楽死であろう。苦痛、苦悩を死によって免れる方法である。ただそれが治癒しがたいものであるかどうかという断定が、本人1人の判断にかかっている点で、医師の客観的判断による安楽死とは違うことになる。」唐木順三著「自殺について」p
日本人は、苦痛を伴う何らかの出来事に遭遇したとき、人生のリセットの手段が安楽死になっていることはなぜか。これが課題
1.「自らを殺す行為であって、しかも死を求める意思が認められるもの」(大原健士郎)
「捨てるな!命」黒澤尚からの孫引き
2.「自殺とは、一般的に誰かに対する殺人衝動を自らに向けたものである」フロイトの定義p21(真昼の悪魔)からの孫引き
3.WHOの定義「致命的な結果を伴う自滅行為」「じめつこうい」とは「様々な致命的意図を伴う自傷行為」
4.アメリカ疾病管理予防センター「死者が自分自身に加えた傷害、服毒、窒息による死で、死者自身が自分を死に至らしめることを意図した(明白な、あるいは絶対的な)証拠が存在するもの」
自殺と他殺、引きこもりと他殺、人種と他殺
1.
自殺と他殺は合わせ鏡(ある刑事ドラマ)
2. 「引きこもるか、深刻な犯罪を引き起こすか。両極端のようでその違いが紙一重であることは、数々の凶悪犯罪が証明している」(最相葉月著セラピストp296)
3. クレイネス博士「アメリカの白人と黒人の自殺率及び他殺率を比較して、白人には自殺が多く殺人が少ないことを指摘し、その理由として、白人は攻撃性を自らの内部に向ける傾向があるのに比して、黒人が攻撃性を外に向ける傾向があると指摘、」(大原健四郎 「うつ病の時代」p174から孫引き)
自死を自殺(自分殺し)と定義すると、偏見は閉じこもりから、人種差別まで拡大される。
1.過労自殺という奇妙な造語
過労死と言う言葉は誰が作ったのだろうか。調べてみると3人が関係しているという。1982年に細川汀・田尻俊一郎・上畑鉄之丞三氏の共著が「過労死」で、ここから一挙に普及した。細川汀さんによれば、過労死とは「過労によって生体リズムが崩壊し、生命を維持する機能に致命的破綻をきたした状態」をいう。(細川みぎり著「かけがえのない生命よ」102頁)
KAROUSHIは世界中で使われる言葉となり、1987年から始まった「過労死110番」などをはじめとする全国的な運動となった。労働省が「いわゆる過労死」とこの言葉を認めたのが1995年。この後、運動を支える弁護団から「過労自殺」という造語が生まれた。「過労死」との連想で「過労自殺」もマスコミに支持され普及した。
過労自殺の定義を見てみよう。まずフリー百科事典「ウィキペディア」によれば「過労自殺とは、長時間に及ぶ労働に精神的・肉体的疲れ切ってしまい、いたってしまう自殺のこと」とある。過労自殺という言葉からこの解釈が自然であるが、本当に疲れるほど働いたら自殺するのであろうか。もしそうなら日本中で何十万人も自殺することになる。ほとんどのヒトが疲れるほど働いているのが実情だから。厚生労働省では過労自殺と言う言葉は使っていない。「業務上の精神障害によって正常に認識、行為選択能力が著しく阻害され、又は自殺を思いとどまる精神的な抑制力が著しく阻害されている状態で(の)自殺」厚生労働省「自殺の予防と対応」この定義の中には「過労」という言葉がない。精神障害の発症は過労だけではない。パワハラなどもある。過労と死を直接結びつける、働き過ぎによる死が過労死なら、過労自殺とは働き過ぎによる自殺と言うことになる。それはおかしい。うつ等の精神疾患にかからなければ自殺はない。せめて「過労・うつ・自殺」と表現して欲しいところである。
2. 過労自殺は、定義と名前がかけ離れているが、マスコミ向けには便利な言葉である。過労死があまりにも有名な言葉になったので、その連想から何となく説明抜きで通る面がある。だがこの便利さは諸刃の刃である。過労死対策の運動が、最初から弁護師主導で始まった経緯もあり、労災認定と民事責任追求が、運動のほとんど唯一の手段となり、20年を超す運動の蓄積は、個別被害者の救済で大きく前進し、反面、過労死も過労・うつ・自殺も減らすことが出来なかったと言う事実に突き当たる。会社側はいっそうの自己防衛に走り、会社側弁護士にとってもおいしい事態となっている。最大の問題は自殺の真相が、社会的調査により明らかになり、対策が社会的になされる事がほとんど無い事にある。個別事件の枠の中で全てが終始してしまう。そのためうつの自殺は「不名誉」「汚点」「身勝手」という烙印を社会的に貼られたままとなる。事実を社会に明らかにし、その事実を持って語らしめる事が軽視されてしまう。またうつと言う病に対する適切な警告がなされないという問題もある。何故そうなるかというと、被害者が「子供には内緒に」とか「近所には隠している」と言えば、まずメンタルサポートが優先されるべきなのに、訴訟が優先されるため遺族の意向通り隠すと言うことになる。(依頼者の意向に添うのが弁護士の仕事であれば、隠すことが仕事になる。)弁護士主導の限界ともいえる。「いわゆる過労自殺」をめぐる運動のあり方は、弁護士中心から被害者中心に、被害者当事者が前面に出る方向への転換が迫られている。このことの重要性は子供のイジメによる自殺防止のため全国の教育委員会に直接訴えた「全国いじめ被害者の会」、JR事故での「4.25ネット」などの活動を見れば、そこには立ち上がった当事者が、前に出る、これからの運動のあり方を示している。