働く者のメンタルヘルス相談室7月2日の講座内容紹介

 
労働者の健康と音楽療法
和合 治久(埼玉医科大学教授)ホームへ
 
   現代社会は、毎日が目まぐるしい早さで変化しています。そんな社会に暮らす現代人は、職場や学校、あるいは家庭内で不快な人間関係に起因する嫌な感情が増大しています。一方で、通勤や通学の際に遭遇する過密という異常なまでの環境が健康を支える生体機能、特に脳神経系、ホルモン系あるいは免疫系に悪影響を与えています。一般的に、環境の変化や不快な人間関係など、心や体にいらだちや不安、あるいは緊張や動悸などのさまざまなゆがみを引き起こす外的・内的な刺激をストレス要因と称し、これによって生じる心と体の緊張状態あるいは心身の状態がストレスになります。
   この強度なストレスが日々持続して蓄積してくると、自律神経系を構成する交感神経と副交感神経のバランスが崩れて、人間にはさまざまな症状が出現し、健康が損なわれてきます。誰でもはっきり自覚できる症状はつぎの通りです。たとえば、第1に目が疲れやすくなったり目の涙腺の機能が低下して目が乾燥してきます。第2に、頭痛や頭が重く感じられる症状です。これは交感神経優位で血行が悪くなったために生じています。第3に、耳鳴りや耳の閉塞感があります。また第4に、口が渇くとか味覚の異常があります。第5に、のどに異物感や圧迫感があります。さらに、第6に、動悸や息切れがあります。第7に、便秘や下痢、あるいは腹部の膨満感など消化器での症状が発生します。このように、自律神経がストレスでバランスを失うと、さまざまな不快な症状が自覚できるようになります。
   さて、自律神経の中枢は視床下部にあります。人間の五感から入力されて脳で処理された情報は両耳を結んだ中央に存在する視床下部に到達します。この部位はホルモンの分泌とも関係が深く、すぐ下にある脳下垂体にも強い影響を与えています。脳下垂体は、したがって、視床下部の指令によって、成長ホルモンや甲状腺刺激ホルモン、副腎皮質刺激ホルモン、乳腺刺激ホルモン、あるいは性腺刺激ホルモンなどを分泌するのです。こうした相互関係によって、もし今日のストレスが視床下部の自律神経の中で交感神経を強く刺激し続けると、脳内ではノルアドレナリン、神経末端からはアドレナリンが分泌過剰になり、血管が収縮して血圧が上がったり、脳梗塞や動悸などが起こりやすくなってきます。一方、ストレス・ホルモンであるコルチゾールの濃度も上昇してくるため、免疫力を支えているリンパ球のはたらきが低下して、ウイルス感染症やガンの発生頻度が高まります。加えてコルチゾールの上昇でアレルギーを引き起こすIgEという免疫物質の産生を高めてしまいます。また、血糖値までも上昇させるので糖尿病にもかかりやすくなってきます。
   一方、人間の自律神経系の中で、リラックス状態を導く副交感神経の中枢は視床下部という部位にあり、中脳から目に分布する動眼神経、延髄から舌下腺や顎下腺に分布する顔面神経と耳下腺に分布する舌咽神経、また心臓や肺などの内臓に分布する迷走神経、さらに仙髄から膀胱や大腸に分布する仙髄神経は重要な副交感神経になっています。したがって、現代社会の交感神経優位の過剰な状況にブレーキをかけ生活習慣病あるいは免疫力低下を予防するためには、こうした副交感神経を効果的に刺激することが肝要になります。
   音楽には、メロディやリズム、音程や音色、あるいは音の高低である周波数や一定のフレーズの繰り返しから成り規則性と不規則性が調和したゆらぎ(正確には、「1/fゆらぎ」という)、また周波数と周波数がぶつかりあってより効果的な高周波音を生み出す倍音など、さまざまな特性があります。これらの特性の中で、モーツァルトの音楽には3500から4500ヘルツという高周波音と実に透明感にあふれる純粋なゆらぎ効果がバランスよく豊富に含まれています。このふたつの特性に加え、倍音効果も豊富であるため、曲によっては1万5千ヘルツ以上の高周波音も豊富に見られます。
   最近、モーツァルトが作曲した数多くの名曲が、人間の聴覚を刺激して健康を支えているさまざまな生体機能に影響を与えることがわかってきました。とくに、アルフレッド・A.トマティス博士による研究から、音楽が脳に多大な影響を与えることが判明しています。博士は、不快な雑音は逆にストレスや緊張を誘導し、人間の集中力や思考力あるいは創造力を妨げることを見出しています。一般的に、「モーツァルト効果:Mozart effect」ということばは、音楽を健康あるいは教育に取り入れる研究を長年にわたり行っているアメリカのドン・キャンベル氏によって提唱されたことばであり、トマティス理論に基づき、モーツァルトの音楽を聴くことによって、精神と身体の両面の健康を維持させたり病気を改善させる音楽療法のひとつと考えられます。
  さて、高周波音とゆらぎ効果あるいは倍音効果に満ちたモーツァルトの音楽の情報は、さらに、脳の真ん中に存在する大脳辺縁系や自律神経の中枢である間脳という視床下部が存在する部位、そして延髄という副交感神経が集合している部分に効果的に作用していきます。延髄からは、顔面神経や舌咽神経など顔に分布する神経や迷走神経という心臓や肺など内臓に分布する神経がでています。この結果、モーツァルトの音楽を聴き入ると、副交感神経が効果的に刺激されて、身体の機能がリラックス状態になってくるのです。
  今日よく知られたモーツァルトの健康効果と呼ばれる作用は、いくつかありますが、その中でも、1 )日々の生活の中で創造力や想像力を育てる作用があること、2 )会話におけるヒアリング能力を高めること、3 )不安やストレスを減少させる作用があること、4)記憶力を高め、痴呆症を改善させること、5 )精神的な安心感を誘導し、幸福感を高めること、6 )心臓の作用を安定化させ、心拍の安定化を図ること、7 )血圧を安定にすること、8 )脳波をリラックス状態に導き、α波を引き起こすこと、9 )ストレス・ホルモンを減少させる作用があること、10)免疫力を高め、健康を導くこと、11)エンドルフィンの分泌を促し痛みの緩和効果をもたらすこと、などが報告されています。
  さて、人間の免疫システムは、通常、2つの防御壁(バリヤー)から成り立っています。その1つは、本来生まれながらに備わっている防御壁で、「自然免疫力」になるものです。その典型的な力は、体表面という全身を覆う皮膚や消化管に構築され、皮脂腺や涙、唾液、消化管分泌液などに含まれる免疫物質(リゾチームやIgAなど)に依存しています。つまり、殺菌作用のある免疫物質を体表面に分泌して、体内に侵入しようとする病原体をいち早く撃退しているのです。また、消化管に存在する数多くの乳酸菌などの善玉菌は、有害な病原体の定着や増殖を抑える力があるので、防御力を高める作用をもっています。さらに、こうした体表面のバリヤーを突破してくる病原体に対抗する手段も備えています。通常、血液中を流れて全身をくまなく循環している好中球(顆粒を細胞質に多くもつので、顆粒球ともいう)という白血球の1種やナチュラルキラー細胞(NK細胞)、単球などが重要な外敵異物を攻撃する免疫担当細胞になっています。また、循環はしないものの、肝臓やリンパ節あるいは脾臓などの器官に存在して、流れてくる病原体を排除するマクロファージという免疫担当細胞も存在しています。これらの細胞の中で、好中球、単球あるいはマクロファージなどは異物を食べて殺して分解するという一連の貪食作用によって攻撃するのに対して、NK細胞は外敵異物の細胞膜に傷をつけて破壊するという方法をとっているのが特徴です。さらに、自然免疫を担う免疫物質も存在し、たとえば、補体という生体防御蛋白質やインターフェロンなどは重要な病原体を排除に導く液性の物質になっています。
  こうした自然免疫は、感染を反復しても抵抗性の力は変化することはないこと、あらゆる非自己となる異物に対して特異性はなく幅広く反応するなどの特性があります。
一方、もうひとつの防御壁は、「獲得免疫力」という防御系に依存するものであり、ある特定の非自己となる異物に対してだけに特異的に反応する免疫系として機能しています。さらに、この免疫系には異物を記憶する力も備わっているために、同じ異物の侵入に対しては、より早く、より強く応答できる性質もあります。したがって、獲得免疫は、感染の繰り返しでより鍛えられて強くなること、一度記憶した異物には、より強く応答して効率的に排除するという特性があるのです。たとえば、はしか(麻疹)ウイルスに一度かかると、二度とかからないという現象は、はしかウイルスを記憶していた免疫細胞が二度目の侵入の際に効率的に増殖して攻撃をしかけたためなのです。この獲得免疫力を根底から支えている免疫担当細胞は、胸腺由来のTリンパ球と骨髄由来のBリンパ球なのです。また、免疫物質としては、Bリンパ球が成熟した形質細胞とよばれる免疫担当細胞によって合成され、血液中へと分泌されています。これらの防御因子は、異物の特定の構造を認識して、特異的に攻撃を加えることができるのです。
  今日、こうした身を守る免疫力が低下すると、健康であれば問題ない病原体の感染を被ったり(日和見感染症といいます)、癌の発生が増加したり、花粉症のような特定の花粉という異物に対してだけ過敏に反応するようなアレルギーが増加しています。免疫力が弱くなれば、病気になりやすくなってしまうのです。風邪をひきやすいというのは、典型的に免疫力が低下して、ウイルスを排除する能力が低下していることに原因があります。病原体の増殖力に免疫力が負けている状態なのです。また、Tリンパ球に感染するエイズウイルスは、増殖するたびにTリンパ球を破壊していくために、その数が減少し、やがて免疫系の機能不全が起こり、カリニ原虫という病原体によって肺炎が発生したり、カポジ肉腫という皮膚癌が生じてくるのです。
  現代人の多くは、その免疫力がさまざまな要因によって確実に低下していると考えられます。一般的に、かぜをひきやすいこと、傷口が化膿しやすいこと、肌荒れがひどくなること、下痢をしやすいこと、便秘になりやすいこと、のどが腫れやすいこと、疲労感が持続すること、などの兆候は、免疫力の低下を示しているので、注意が必要になります。
こうした項目を多く抱えている方は、日々の生活習慣を点検してみることがまず肝要でしょう。なぜなら、免疫力の低下は、健康の悪化にすぐに結びつくからです。すでに述べているように、人間の健康は、脳神経系や血液循環系、あるいは内分泌系、免疫系によって維持されていますが、これらのシステムは相互に連絡し合ってもいるので、この連携が崩れてくると、健康は維持できなくなるのです。生活習慣の点検作業では、まず自分にどんなストレスが日々の生活の中でかかっているかを分析してみること、第2に睡眠は6時間から8時間はとっているか、第3に残業のような働き過ぎはないか、第4に適度な運動はしているか、第5に野菜や魚を食生活に取り入れているか、などの点検が大切です。加えて、不安や悲しみ、恐れという感情がどのくらい生じているか、を冷静に考えてみて、もし過度にこうした三大感情があれば、どうしたらその程度を減らすことができるかを考慮してみることです。
  こうした点検作業と改善策の模索によって、確実に免疫力を高めることが可能になるのです。日々の生活にある悪い生活習慣は、人間の感覚器官を介して入力され、脳下垂体前葉からの副腎皮質刺激ホルモンの分泌を高めるために、結果的には副腎皮質ホルモンのコルチゾールの量も増加させます。したがって、コルチゾールに反応して、獲得免疫に関与するリンパ球のはたらきが低下し、リンパ球が担うウイルス攻撃力や癌細胞撃退力も低下するのです。また、精神的なストレスは自律神経のひとつである交感神経を過度に緊張させます。交感神経は、活動の神経であるので、身体の運動機能を活発にさせるので、興奮するときには著しく作用しています。一方、交感神経が過敏に作用していると、別の副交感神経という自律神経は、その出番があまりありません。こちらは、弛緩とか休息の神経であり、体をリラックス状態に導くので、ストレスが多くあると副交感神経が作用しにくくなってしまうのです。
  したがって、交感神経が働き過ぎて、神経末端からのアドレナリンの分泌も盛んになります。この神経伝達物質によって、人間の好中球が増加してくるので、この免疫担当細胞が外敵を殺すときに使用する活性酸素の量も当然増加してきます。人間は増加した分の活性酸素を解毒できないので、活性酸素によって組織や細胞の障害が発生するのです。また、副交感神経の低下によって、今度は末端から分泌されるアセチルコリンが減少するので、これに反応してリンパ球の数が減ってきます。こうして現代社会を直視すると、多くの方は、リンパ球の数が減少し、かつその機能も低下しているといっても過言ではありません。いずれにしても、免疫力が低下してくると、感染症やがん、アレルギーあるいは自己免疫病(自己成分が自分の免疫応答を被り炎症が生じる)などの免疫系疾患が発生するのです。
      しかし、ひとりでもできる免疫力増強の簡単な方法があります。それが、モーツァルトの音楽を活用した音楽療法なのです。既述しているように、音楽には、メロディやリズム、ピッチあるいは周波数やゆらぎ、さらには倍音効果などの特性がありますが、こうした要素の中でも、特にある周波数帯とゆらぎ、あるいは倍音効果などは、効果的に自律神経の中でも副交感神経を刺激して、交感神経優位の状態にブレーキをかける作用があります。交感神経優位が原因で生じるリンパ球の機能低下を、実は音楽で回復させることができるのです。とりわけ、モーツァルトの音楽には、3500ヘルツから4500ヘルツの周波数帯の音が豊富にバランスよく組み込まれていると同時に、それらがシンプルな一定の音の波形で繰り返され、規則性と不規則性の調和がとれたゆらぎ効果があり、さらに高周波音と高周波音がぶつかりあって、さらに高い周波数になるという倍音効果もみられるのです。ある曲には20000ヘルツという非常に高い周波数も存在して、大脳を刺激しエネルギーを与える曲もあるほどです。
   最近の研究から、モーツァルトの曲を聴き入ることで、体表面の分泌の程度が高まり、さらにそこに存在するIgAという抗体も増加すること、血液中のリンパ球の数が増加して、リンパ節や脾臓などのリンパ器官から動員されること、NK細胞の数と機能が増大すること、リンパ球由来のある種のサイトカインという物質が高まること、などが明らかになりました。したがって、モーツァルトの音楽という聴覚情報を日々の生活に取り入れることで、体表面や消化管での免疫力を高めると同時に、生体内での免疫力も高めることが可能になってきたといえます。モーツァルトの音楽は私が提唱する「副交感神経刺激音楽療法」になります。これを導入すると、現代人の交感神経優位の状態にブレーキがかかり、活性酸素が減少したり、リンパ球の機能が増強したり、加えて血行が良くなり、がんや感染症、アレルギーあるいは自己免疫病の予防につながっていきます。副作用のない簡単で感動力をもつモーツアルト音楽療法で日々の健康を増進させると同時に、社員の仕事への意欲と生産性を向上させてほしいと思います。