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うつ病履歴

1955年生まれ女性
職業 看護師
記録

発病前
加重な労働が5年続く
2005年はじめ目ごろから疲れが目立つ
2005年8月 あまりの衰弱に子が救急車を呼ぶ
このころ円形脱毛症、睡眠障害 睡眠薬常用
    10月から強い不安感、恐怖感
発病
2006年1月12日出勤できない状態となる
当該は看護師で、とある診療所で10年近く働いていました。発症の5年ぐらい前から、新診療所の建設の準備(生協方式なので組合員を増やす。)と新診療所建設後の初期の運営が安定するまで、少人数で長時間がんばることで、多くの業務をこなしてきました。土曜日出勤は当たり前で、日曜日も月に1日休めたら喜んでいるような状態でした。8時に家を出て毎日10時前後の帰宅でした。何年もそういう状態がつづきました。家事の負担もかかっていました。元々頑丈な体でもあり、仕事も好きなので、それほど苦にすることなく働いていました。平成16年頃から疲れがめだち出しました。夏のある日、遅く帰宅後疲労から呼吸や心臓が苦しくなり、救急車を呼んだこともありましたが、その翌日、青い顔のまま、出勤するような状態でした。
04年7月から11月末までは市役所など行政がお金を出して、ある年齢以上の住民の検診を無料で、行う制度があり、月2回は日曜日に検診のみ受け付け手対応していた。又12月はインフルエンザや風邪で受診者が急増する時期でもあった。
そのため、年末には、毎日夜遅く帰ってきて、コンビニの夜食をビールで流し込み、そのままソファーで寝てしまいました。大きく口を開け、疲れがたまりすぎて、顔には死相すら漂う鬼気迫る様子で、家人仕事を休むようにいっても聞き入れません。正月休みで一息入れることができ、表情も明るくなったのでほっとしていると、休み明け、わずか3日の出勤で元の木阿弥、再び青い顔に戻ってしまいました。05年1月8日の土曜日を休み、日、月が連休で火曜日に出勤した後12日から出勤できなくなりました。子の勧めで14日に精神科を受診し「うつ」と診断されました。そこから長い休職が始まりました。
 後から聴いてみると、出勤拒否の数ヶ月前から睡眠障害で、睡眠薬を常用し、半月ほど前からは、強い恐怖感、不安感におそわれていたということです。数日前からはほとんど30分ごとの下痢に悩まされていました。

2006年 1月14日「うつ」と診断される。以後休職
約3ヶ月で急性期を過ぎ以後落ち込みと回復が繰り返される
デパス0.5ミリ×3、パキシル30ミリ1回、デジレル25ミリ×2
マイスリー10ミリ1回、ロヒプノール1ミリ1回(06年4月3日)
 2006年6月〜10月
デパス0.5ミリ×3、パキシル30ミリ1回、デジレル25ミリ×2
バレリン100ミリ1回
2006年2月から5月まで福岡の本人の母方へ滞在
2006年7,8月引っ越し準備
2006年9月1日引っ越し

母の死、退職、

2007年4月12日 本人の母死亡 以後強い落ち込みが続く(1月から危篤を繰り返す)
デパケン400ミリ追加  強い記憶障害、尿失禁
2007年8月退職
9月末から強い落ち込み11月13日まで続く
12月20日から落ち込み。年末の落ち込みのさいデジレルを追加
デパス1ミリ×3、パキシル30ミリ1回、デジレル100ミリ

孫誕生(07年10月1日) なぎ 男児
このころの様子は毎日新聞08年7月4日コラムを参照ください。
孫に会っている間は、スイッチが入ったように元気になる。



減薬の開始

2007年11月初旬デパケン200ミリに減らす
2007年11月末 デパケンが0となる
2007年12月7日デパス3ミリ、パキシル30ミリ、デジレル200ミリ
2008年1月7日デジレルを200から150に減らし、テトラミドを10ミリ追加
2008年1月21日パキシルを30ミリから20ミリに減らす
2008年3月17日デジレルを150から100ミリに減らす
2008年6月23日デジレルを100から75ミリに減らす
2008年8月11日デジレルを75から50ミリに減らす


再び混迷・激しい落ち込み

2008年9月22日デジレルを50から25ミリに減らす 以後激しい落ち込み
このころ任せた預金の乱費が発覚。
2008年10月20日デジレルを0としテトラミドを10から30ミリに増やす。
深酒後包丁を持ち出す事件有り(考えれる限りの悪口雑言を繰り返し浴びた)
2008年11月現在 デジレル離脱が終わったように見える?
2008年11月20日 ここ数日軽い落ち込み
2009年1月はじめ大型家電店舗にウインドウショッピングに二人で行く。次々買いたがる妻に意見。直後から一人行動をとり、私を寄せ付けず。一人でJRで帰る。こちらは万一を心配し駅周辺を何度も探す。数時間後帰宅。すぐ家を出る。(銭湯だろう)3時間後帰宅。以後会話にない状態が1週間続く。こうした行動は私に強い打撃を与えた。
患者の行動が病気のせいなのか、薬のせいなのか、そもそも本人の性格なのか、渾然として混乱する。
相当よくなる兆しが見えていたとき。発病以来丸4年が経過。見た目には健康な人より健康にみえ、体重も増加。三段腹も復活。時折の激しい攻撃はなぜか夫だけに集中し子どもや、孫には底抜けに甘い。芸能人などのうつ体験記を見るとこうした回復期の問題行動への記述がない。本当だろうか。うつ病の回復はなだらかに進まず、時折乱気流に見舞われるのではないだろうか。うつ病患者の家族の会で悪口を言い合って発散できればいいのにと思う。先日うつ病自死遺族としゃべっていたら、「よくそこまで言うな」というほどの悪口攻撃に耐えかねたという。「そうだ、そうだ」と癒されたものだ。
2009年2月下旬 顔の表情が、急に豊かになった。本人に聞くと頭の回転も速くなったそうです。デジレルの服薬を止めて3ヶ月。脳がデジレルから解放された。後はパキシルからの離脱が残された課題だ。
2009年5/25この日に処方された薬
デパス0.5ミリ3回分、パキシル20ミリ1回分、テトラミド30ミリ1回分後ハルシオン0.25ミリ1回分です。

09年6月は最悪であった。もうほとんど回復したと思っていたが、朝起きてくるのが8時から8時半と相変わらず遅い。1週間ほどビジネスホテルに泊まる事があった。このときは朝食と出かける関係で7時から7時半に起こすことになった。そうした日々が続く4日目の夕方から、些細なことでほとんど言いがかりといえる文句が延々と続きだした。どこで食事をするか、何を食べるか、どこで待ち合わせをするか。すべてが争いの対象となった。顔付きは青くなり、欝の悪いときの表情がよみがえった。3日ばかしけんかの後帰宅した日も些細なことから怒りの発作が止まらなくなった。逃げ出したいような悪口雑言を繰り返し浴びせてきた。その翌日は20時間を超えて寝続けた。48時間後少し顔色は戻ったようだが、今度はこちらが話をする気がしないので結局1週間口を利きかなかった。欝症状というより攻撃的な躁状態であった。今後どうなることか。
これ以後朝は極力起こさないように方針を転換した。本人が自室から出るまでいっさい干渉しない。3ヶ月半続けている。今のところ大きな破綻もない。肌もつやつやし顔も若がえつた。実年齢より相当若く見える。
09年8月17日の処方
デパス0.5ミリ×3、パキシル20ミリ、テトラミド30ミリ、ハルシオン0.25ミリ
09年10月13日の処方 8月におなじ

09年10月中旬、軽い落ち込みが4,5日続いた。大好きなサウナに行く気力がなくなるので、落ち込みと分かる。普段あまり飲まないビールも毎日口にするようになる。
日曜日に2時間ほど散歩をし、その日は久しぶりにサウナに出かけた。サウナといっても近所のお風呂やさんであるが、風呂好きが毎日集まってにぎやかなのだという。こうした軽い落ち込みの時に、無理して仕事に出るとどうなるのであろうか。復職後に再発しやすいのは不規則に出てくる落ち込みに対し無理をするからであろうか。うつ病の落ち込みは体の中に隠れていて突然不規則に現れる。ヘルペスが人の神経細胞に隠れていて、ある日突然暴れ出すのににている。この不規則な現れ方は何故であろうか。何が引き金になるのだろうか。此が分かればうつ病に対する対処方法がわかるような気がする。
09年11月中旬またも落ち込みが続いている。
おかしな兆候があった
1.ヤクルが1個十円だったと50個ばかりヤクルト容器ににた乳酸菌飲料と称する物を買って帰ってきた。得意そうであった。よく見ると聞いたこともない会社の名が小さくはいっていた。にせものであった。
2.ガスファンヒーターの操作部が酷く変形していた。倒し踏みつけたようだ。翌日無理矢理変形を直したといっていた。しかし内部の配線が壊れ使い物にならなくなった。この問題では机をたたいて私に怒っていた。壊した本人が開き直るのである。
3.朝珍しくコーヒーメーカでコーヒーを入れ始めた。10分ほどするとコーヒー豆の粉があちこちに飛び散っていた。フイルターを付けるのを忘れたのだ。なかが詰まって粉が外の飛び散ったのだろう。
こうした兆候はあった。今回は深く落ち込んだ。医師は睡眠薬を3種類にした上リチウムを追加した。他に2種の抗鬱薬も追加となった。
睡眠薬が2種追加され3日後から効きだした。睡眠が取れるようになり急速に復活しつつある。穏やかな環境、睡眠、歩くがうつ病治療の3つの基本のようだ。
09年11月16日の処方
落ち込みを反映して処方が変わる
デパス0.5ミリ×3、パキシル20ミリと東浪見度30ミリ、ハルシオン0.25ミリ
ここまではおなじ。そしてロヒプノール錠2 2ミリ、リチウム400ミリ、ロラメット錠1.0 1ミリ 11月30日、12月7日もおなじ。

リチウム増量
2010年1月4日が通院日であった。医師の話ではリチウムの血中濃度は0.4で、効果のある0.5から1の範囲にはいっていない。そこでリチウムの増量した。増量開始から4日ぐらいからむねのつかえがおりたようにすっきりしたと本人が言う。振り返れば長い落ち込みだった。何度も治ったと思わせる日が続き長い落ち込みがある。リチウムの効果はとても大きい。
2010年3月29日からパキシルは10ミリグラム7月22日からゼロになっている。リチウム適量投与後やっとパキシルから離脱できた。
2010年7月26日からはデパス0.5ミリ×3、とテトラミド30ミリ、ハルシオン0.25ミリ、ロヒプノール錠 2ミリ、リチウム600ミリ、ロラメット錠 1ミリ 
以後2011年9月26日までおなじ。2011年11月7日からロヒプノール錠 2ミリが無くなる。
2010年10月1日からフルタイムで勤務。2011年3月までの契約です。最初の1週間は少し辛そうでした。すでに110日が経過しました。今のところ大きな問題は発生していません。パソコン入力にも挑戦しています。
毎日キーボードに向かって少しずつ練習しています。発病から5年半。顔にはうつ病の印はありません。普通の表情に戻っています。パキシル服薬をやめて3ヶ月経っています。気分の波は軽くなっていますが、まだあると言っています。
これで完全に復帰したとはいえませんが、一歩前進です。自信も少しずつ回復しています。
休みの日昼寝をしている当該の顔は、勤めに行く前より、柔らかくなっています。働くことで、悪くなるどころか、リハビリ効果が出てきた表情です。
休みなしで働いて、後でまとめて休んでも体は回復しにくいようです。
2月に入って朝起きるのがしんど苦なり、いつもより30分から45分遅くなりました。休みの日も出かける力がないようです。ここ4ヶ月で最大の落ち込みです。落ち込みは約1ヶ月続きました。何とか乗り越えました。ところが3月のある日ぎっくり腰となり、トイレに行くのさえままならない状態となりました。レントゲンでは骨折はないとのこと。注射、服薬、コルセットの身となりました。最低1週間は治らないとのことで、残り少ない勤務契約も終わりそうです。4月になりました。勤務は終了です。腰の痛みは続いています。2010年1月に服薬の主役をリチウムに切り替えました。リチウムは気分の振幅の幅を小さくしてくれます。そのため職場復帰が可能となります。痛み止めとリチウムは相性が悪いようです。腎臓の悪い人はリチウムが飲めません。
その後軽い落ち込みはと不機嫌な躁がありますが、大きな問題が発生することなく今日に至っています。今最大の問題は起床が8時から9時の間と遅いことです。
2012年3月12日からユーロジン2ミリが追加される。眠りを長くする効き目があります。

医療費
当初医療費は大きな負担であった。1回の支払いが4000円。月2回通院で8000円。1年間96000円。1年くらいでどこからか通院医療費の補助の話を聞いた。
早速市役所の障害福祉課で手続きをした。障害者手帳の申請も同時にした。これで通院医療費の負担が1割、月2000円程度となった。休職1年6ヶ月で解雇され、国民健康保険に代わった。すると自己負担がゼロになった。大阪府がカバーしているようだ。ちなみに途中就労し社会保険となった期間は医療費負担が1割に戻った。
最近の医療費は1ヶ月総額21830円で自己負担0と市役所保険年金課から通知があった。


下痢と便秘
うつ病初症の直前、直後は下痢に悩まされた。30分ごとにトイレに駆け込む有様であった。薬を飲み始めてからは長く便秘に苦しんだ。便秘薬が不可欠であった。リチウムに切り替わってからは下痢か、軟便となっている。
薬で抑えたりすると、その反作用で腸がよけい敏感になったり鈍感になったりする。うつ病でなくても便秘に苦しむ人は多い。ストレスで下痢にも便秘にもなる。様々な方法を試したが、下痢と便秘双方に有効な方法があった。それは米ぬかを炒って毎日大さじ2,3杯食べる事だった。米ぬか2杯にヨーグルト小さじ1杯、、オリゴ糖小さじ1杯これを豆乳大さじ1杯に溶かして食する。1日1回。米ぬかは米屋さんか近くのレストランでもらう。(かつき)というトンカツ屋さんは無料で配布している。

うつ病から躁うつ病へ
2006年1月うつ病と診断された。うつ病のまま治癒まで続くのかと思ったらそうではなかった。長く抗鬱薬の治療が続き躁の危険がましていた。リチウム投与は2009年11月16日からで、2010年1月の増量から安定度がました。この時点では躁うつ病と診断され、日常生活での躁の割合がどのくらいかと診断で問われたという。
惜しむらくは2007年本人の母死亡時にデパケン400ミリの代わりにリチウムが投与されていたら、遅くとも2008年6月頃に適正な量が投与されていたら、苦しみの期間がもっと短かったのではないだろうか。

生命保険解約
本人の収入が無い状態が6年も続くと支出を減らすことが、課題となる。そこで貯蓄型の生命保険を解約して掛け捨て型の生命保険に乗り換えようとした。手続きを初めて気がついたのであるが、精神疾患の患者は治療中生命保険を契約できないばかりか、治癒後5年間の経過措置以後でなければ新規契約ができないと言うことであった。生命保険がすべて無くなると言う事態を避けるためには、貯蓄型の生命保険を継続させるしか手段がない。

リチウムの血中濃度
リチウムは効き目が出る範囲が限定されている。すくなければ全く効かないし、多すぎると害がある。2012年3月12日採集され血液検査に回された。報告書を見てみよう。リチウム測定値0.51mEq/lとある。投薬量は600ミリグラム/日 治療有効範囲は0.40−1.00

注:mEq(メック)というのは、m(=ミリ、千分の一)+Eq(=Equivalent=当量=分子や原子が6.02×10の23乗個集まった量/イオンの荷数)のことです。


うつの再発防止にω−3脂肪酸が効果的だという情報に接した。
ケイ・ジャミゾン著「早すぎる夜の訪れ 自殺の研究」の中で。ω−3は(DHA)ドコサヘキサエン酸と(EPA)エイコサペンタエン酸の形で摂取する。DHAは母乳に含まれている事で知られていますが、脳内の神経細胞の橋渡し役であるシナプスが作られる時にDHAは不可欠です。細胞膜を柔らかくする作用があると言われています。
4,5社からサプリが発売されています。DHAに強い会社とEPA に強い会社があるようです。