連合赤軍 森恒夫を誰が社学同にオルグしたか
安永さんという社学同の長老がいた。オルグの名手で、構造改革派の革新グループを支持していた森恒夫を一晩で宗旨替えさせ主流派に引き込んだ人だ。痩せて細長く浅黒い風貌で仙人のような雰囲気があった。私もこの人のオルグを受けた。レーニンの「国家と革命」という冊子を活用していた。レーニンは「国家とは、階級対立が解消できない状態にあることの帰結であり、反映でもある。る。「国家というものは特定の階級の支配機関であり、その階級は敵対する階級に対して融和的な態度なぞ取りようがない」革命においてプロレタリアートは「官僚・軍事国家機構を粉砕する」「資本主義社会と共産主義社会との間には、前者が後者に革命的に変化していく期間がある。政治的移行期も、この時期と並行している。そして、この時期の国家は、プロレタリアートの革命的独裁以外のものにはなりようがない」その冊子は返すのでなくプレゼントされる。「国家と革命」を読むと暴力革命以外にはないと思わせる迫力がある。森恒夫もこの冊子を読まされ、構造改革でなく暴力革命が必要だと納得したのだろう。安永さんのオルグを受けていた私は9月の民学同結成大会に勧誘されなかった。安永さんが考えた大学祭のテーマは「ここではない場所への行為」であった。社学同の雰囲気をよく表していた。民学同は「この場所でこそ、地を這う論争を」であった。
教養部に生協食堂がある。入口を入り振り返って見上げると天井近くに細長いスペースがある。そこに各派が順番に政治ポスターを張り出していた。民青が教養部の食堂の壁に張り出したポスターで、全学連委員長の唐牛健太郎が右翼の田中清玄からお金をもらったことなどを批判した。それに対し安永さんは誰からもらおうと「金は金だ」と開き直った。唐牛健太郎は市大にオルグに来て5人の市大ブントを作った人だ。(唐牛健太郎の生涯は佐野眞一著「唐牛伝」を参照ください。)
当事者の回想を読むと田中清玄とブントの創始者島成郎は岸内閣打倒で意見が一致し田中からのカンパを受け入れたという。年間学費が9000円に時代にバス1台借り上げが7000円だった。早稲田だけでも二、三十台必要だった。何万人もの移動の足をカンパでまかなっていた。当時の食堂は今もあるが、壁には政治ポスターはなかった。(「大阪市立大学同級生が見た連合赤軍森恒夫」88頁所収)
「大阪市立大学同級生が見た連合赤軍森恒夫」は大阪公立大学杉本図書館、大阪府立図書館を始め北海道、山形、長野、京都府、高知県、岡山県、福岡県、沖縄県などの図書館でも見ることができます。大阪市立図書館、摂津市立図書館にもあります。模索舎で販売しています。
大阪市立大学同級生が見た連合赤軍森恒夫
出版しました。
1960年代の大阪市立大学の学生運動を紹介しつつ、市大で自治会執行委員にもならなかった、学生運動の経験が希薄な森恒夫がなぜ連合赤軍事件の責任者になったのか
内容は
第1章 市大学生運動グラフティ
第2章 市大民学同外伝
第3章 大阪市立大学民主主義学生同盟年譜
第4章 市大入学後の森恒夫
第5章 なぜ12人もの仲間を殺したのか
第6章 赤軍派とは
第7章 共産党、民青、共労党の査問の実態
第8章 まとめ 失敗をひきうける
直接の注文は郵便振替00910-9-192984(右詰で記入)働く者のメンタルヘルス相談室へ郵送料とも1500円です
注文方法 電信振り替えの方法
電信振替とは 電信振替(でんしんふりかえ)というのは「ゆうちょ銀行の口座同士」でお金をやり取りする方法です。
ゆうちょ銀行の窓口、ゆうちょ銀行ATM、ゆうちょダイレクト(オンラインバンキング)でそれぞれ利用することができます。決済は即時行われます。
電信振替を使った送金のやり方 やり方は簡単です。
ゆうちょ銀行のATMやオンラインバンキングだと、受取人(お金を送金したい先)の口座番号(総合口座番号・振替口座番号)の記号と番号を入力することで相手を特定でき、送金したい金額を指定して手続きをすれば完了となります。
電信振替のATM操作のやり方
「ご送金」を選択
「払込書での送金」「ゆうちょ口座へのご送金」「払込専用カード」「他行口座へのご送金」という選択肢がでますが、「ゆうちょ銀行口座へのご送金」を選択します。
キャッシュカード・通帳を挿入し、暗証番号を入力します。
振替先選択の画面になりますので、記号番号を入力し、送金金額を入力します。
送金内容を郵便で通知(手数料100円)がでますが、通常は「いいえ(通知しない)」を選びます。
最終確認画面が表示されるので、受取人名などを確認して「確定」ボタンを押して完了となります。
電信振替のゆうちょダイレクト操作のやり方
電信振替にかかる手数料
この電信振替は窓口だと手数料がかかってしまいますが、ATMなら月1回まで無料で振込をすることができます。
模索舎での販売が始まりました。ご注文は模索舎に。
大阪市立大学学生運動グラフティ10頁
7頁コラム1
樺美智子の恋
樺さんは口数少く物静かであったが芯の強い人で、黙々と山程あった事務を背負ってこれをこなしていた。或る日、余りお喋りもしなかったその彼女が事務所から出ようとした私を追ってきて突然、「島さんは大人だから相談したいのですが、私、想いを寄せる人がいるのです……」と話しかけてきたことがある。不意のやや古風な告白に私の方がドギマギして「一体誰と……」と訊いた所、口ごもるように「Sさんです……」といって顔を赤らめたまま逃げるように事務所に入っていってしまった。……その後一度もゆっくり話す機会のないまま過ぎ、やがて彼女は東大に戻り文学部自治会副委員長となり学生運動に専念したために、彼女の想いがいかになったか知る由もなかったが、あの六・一五での死をきいた時、私のなかに強く浮かび、その後もずっと離れることのなかったのはあの時の彼女の胸の内であった。(島成郎 ブント私史)
「ただ許されるなら 最後に 人知れず 微笑みたいものだ」(樺美智子の遺稿集より)
※樺美智子さんの思い人を知りたくなったら、江刺昭子著「私だったかもしれない」参照下さい